キュゥべえをアルファベット二文字で記述しないでブログ

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2011年は転機となった【アニメ編】

 1994年ほどから2002年くらいまで、私は重度のアニメ病患者だった。
 当時はまだVHSを使用していたのだが、使いこなしが異常で、大安売りしている100円ショップなどで大量の180分VHSを買い込み、5倍録画であらゆる番組を収集して楽しんでいた。見るアニメも90年代のを制覇して、70年代のロボットアニメにまで遡り、雑誌はAX、Newtypeアニメージュアニメディア声優グランプリ、Voiceアニメージュ、あらゆるアニメ系雑誌を買い込んで隅まで見ていた。
 ある日、特にきっかけがあったわけではいのだけれど、突然落胆をしてしまった。今となって考えてみればもっと緩いスタンスで、完璧を求めずにゆるくアニメを見ていればもっと続いたのかもしれない。

 

 やがて2000年代も進み、『涼宮ハルヒの憂鬱』が面白いとか、『コードギアス 反逆のルルーシュ』だけは見ておけとか、『天元突破グレンラガン』は熱すぎる!とか、『交響詩篇エウレカセブン』みたいな作品がまだあったのかとか、エヴァンゲリオンが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』としてリメイクされたとか、『けいおん!』が日常系作品として社会に風穴をあけたとか、当然オタな情報界隈から離れたわけでは無いので、話は多く聞くことになる。

 しかし、いろいろな作品が飛び交っていても、どこか食指が動かない。ストーリーボードを見てみたり、オープニングをYouTubeで見てみたり、キャラクター設定を見てみたりしても興味がなかった。せいぜい繰り返し見た作品と言ったら『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』と『新劇場版ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』それに『サマーウォーズ』くらいである。これらの作品はどれも素晴らしかった。特に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』は同『序』を見ず初見で見ておきながら、それでも何度も劇場に足を運んだほどだった。
 だが、面白い作品と出会っても、何故だか他の作品とは違う時系列、違う次元で作られている作品という認識をしてしまっていて、アニメ自体に対する興味を戻す事はかなわなかった。他には一応、『機動戦士Zガンダム』の新訳も3部作全て劇場に足を運んだが、盛り上がれなかった。情熱はすぐに冷め、『装甲騎兵ボトムズ 幻影編』にいたっては途中で見るのを辞めてしまった。

 

 そんな私にとって、今年、2011年の転機となった作品がある。それは紛れもなく魔法少女まどか☆マギカである。ネタバレをなるべく避けてこの作品に対しての情熱を書いていきたい。

 昨年、2010年の頃からTwitterの私のTimelineを通してタイトルだけは文字列がモニタに焼き付くほどの頻度で見ていた。正直どんな作品かもさっぱりわからなかったし、興味も無かった。魔法少女というタイトルからして、連想するものはひとつということもあったからだ。

しかし、放映が始まるとTimelineの盛り上がりはまさに「異様」そのものとなった。理由は飛び交うとある文字列。

「僕と契約して、魔法少女になってよ!」

とにかく「異様」だった。何かこの作品にはあるということを視聴者も感じ取っていただろうし、その視聴者の意識さえも興味の無い私にまで伝わってきた。まあ、この文字列をパロって「僕と契約して、○○になってよ!」さんざいろんなバリエーションの契約を迫る文字列となったりもしていのだが。

 その異様さを捨て置けなくなり、作品を見るに到った。第一の感想として、「私のために作られたんじゃないのか?この作品は?」とさえ思ってしまう確かな、確かな、しっくりとくる感触があった。

 この作品を知るにあたり、ひとつ幸運だったのは、製作スタッフをほとんど私は存じ上げていなかったことだ。声優を含めたほぼ全てのスタッフがはじめまして状態。知っている方と言えば岩永哲哉さん(チョイ役)と岩男潤子さん(チョイ役)くらいだった。おかげで、スタッフの名前などを気にすることなく、単純に作品だけを、何のバイアスもかからずに鑑賞することが出来た。

 

 『魔法少女まどか☆マギカ』は萌えアニメだとか見た目は派手だが中身は何も無いような部分ではない、シャフトが描く派手さが無いシーンでもその静かさで表現するような美しい演出・背景があり、虚淵玄氏の紡いだ先の読めないストーリーがある。また、そのストーリーに相応しく先を見せようとしない次回予告にまで配慮がある丁寧な造り。

 異空間設計担当の劇団イヌカレーが仕掛ける禍々しくも美しい魔女の結界世界、その禍々しい異界に放り出される蒼樹うめ先生の描く可愛らしいキャラクターからくる「過去に見たことが無い映像」、梶浦由記氏の印象操作に過ぎるBGM、「キュゥべえ」という抜群の存在感を持つまさに作品のマスコットキャラクターとそれを淡々と演じた声優:加藤英美里さんの存在、希代のキャラクター「暁美ほむら」に魂を吹き込むに十分な演技をみせた声優:斎藤千和さん。物語が進むにつれてその歌詞の意味が全貌を現す主題歌『コネクト』の仕掛け。

 作品の全てが素晴らしく、なおかつこれだけ力強いスタッフ陣の仕事をバランス良くまとめ上げた事、私はそれをやってのけた新房昭之監督という人物に最大の注目をした。

 時代が変化する時にはこういう作品が現れる、そんな予感がしてしまった。この作品はそういったことをやってのけた。
 少なくとも「アニメ」というジャンルに感心が薄まっていた私を完全に引き戻した。新房監督には本当に本当に感謝してもしきれない。また、この作品と私を引き合わせてくれたTwitterのTimelineにも最大の感謝を。Twitterをやっていなかったら、アニメと出会う事なんて一生無かったか、あったとしても当分先のことだっただろう。

 

 さて、2011年になって、私は現在アニメを2000年代のアニメの、失われた10年間を取り戻そうとゆっくりと、ゆっくりとアニメを鑑賞している。新房監督作品としていち早く鑑賞した『化物語』はオールタイムベストアニメに選んでもいいほどの作品となった。『まどか☆マギカ』で感じていた新房監督への「本物感」は『月詠 -moon phase-』を鑑賞して「予感」から「確信」へと変わった。

 そして、さんざ見尽くした アニメとは違うアニメを見て、アニメを見る事の楽しみを取り戻せた。おかげで今は新房監督作品以外の作品を見ても楽しくて楽しくてしょうがない。

 

 アニメって楽しい、楽しいんだよ。そんな単純な回帰をして、2012年はさらに充実した年を迎えられそうな気がしてくるんだ。